卒業50年を迎えて(青葉工業会報投稿記事)2009/06/13 20:24

           
平成20年10月 
      燦々会 卒業50周年を迎えて

 電気工学科 昭和33年卒業の55名は、同級会「燦々会」のもと、新年会、ゴルフ、小旅行や懇親会などと毎年活発な活動を続けてきている。この長年積み重ねてきた実績は、仲間同士の人間関係を深め、同級生なるが故ということもあるものの、燦々会の絆の強さを思わせ嬉しいことではある。既に古稀人となった我々メンバーは、今年平成20年大学卒業50年目という節目の年を迎え、10月11日のホームカミングデーに前後して記念行事を大々的に催そうということになったのは、当然の成行きであった。

 好天にもかかわらず波頭砕ける男性的外洋の奥松島嵯峨渓遊覧と伊達政宗公の想いを感じさせる静寂の瑞巌寺参拝には、悠久の時の流れと天涯万里の移ろいを感じさせるものがある。天候にも恵まれ、メンバーの半数ともなる30名弱の仲間とそのご夫人たちは、秋の松島を十分堪能したことだろう。
この度の記念行事には一つの期待があった。それは仲間達それぞれが提供した在学時代の写真を中心にスライドを作製し映写することだったのだが、有志の努力で素晴らしいスライド「青春の軌跡・学都仙台に集いしわれら」が完成し懇親会のメインイベントとなった。懐かしく、また思わぬエピソードも飛び出して、酒杯の進みも益々はかどるのであった。
翌日には、片平丁の旧電気工学科本館前に集まり記念写真撮影後旧第二教養部跡地に立ち、そして史料館を訪問した。史料館では静まり返っていた館内が我々の入館で賑やいでいく。多くの貴重な資料に、時折納得する声や思わぬ発見に心弾む様子も見られたのであった。
新入学以降お世話になった第二教養部、思い出のキャンパスである。各人半世紀前を偲び感慨深いものがあったろう。何時とはなしに、また誰からともなく「青葉もゆる このみちのく……」と、かの学生歌の合唱が始まった。想いのこもった張りのある男声合唱で、秋空のもと歌い終え一瞬沈黙が流れる、何かホッとした気分が辺りに漂う。

 黙して歩む彼は今、何を思うのであろうか。久し振りに母校を訪ねたことは、これまでの人生を振りかえる切欠となったように思う。力の溢れる青年時代と仕事をし終えた今の自分とを思うとき、人生とはこういうことだったのかと感慨を覚えるのである。我々は既に9名の仲間を亡くしている。残された私達はこれからの人生をどのように生きていくのだろうか。人生のホームストレッチを「人生の黄昏」ではなく、「至福の時」とすべく心しなければならぬ。次の世代に何か残せるものがないのか、と、考える時期でもあるように思う。賑やかな中にも思うことの多い仙台であった。仲間達よまた会おう。
 (注) 燦々会:昭和33年電気工学科卒業生同級会の愛称
                      (文責 相原)

* この記事は青葉工業会からの依頼による. 
  記念の集い関係の資料は追って掲載いたします. 管理人

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