人生晩年期の心得 by 相原2014/09/17 17:07

                                                              平成26年9月
                                 人生晩年期の心得
                                                               相原 孝志  

■傘寿のお祝い会で驚愕
  これまで臨終の心得について考えたことはあったが、人生の晩年期について考えることはなかった。そのきっかけは、傘寿の祝会でもある久し振りの同級会であった。集まった仲間たちと会って大変驚いたのである。無論いい顔の元気な彼も多いのだが、車椅子、夫人付添もおり、杖持ちも多い。自分の体を十分にコントロールできない様子が散見されるのであった。この実態を知り愕然としたのである。

■150名の同級生たちと
  今から約70年前、中高一貫男子校へ入学した約150名の同級生たち、今までに約1/3が亡くなり、傘寿お祝会に出席したのは50名ほどであった。紅顔の美少年たち今や様変わりとなっているが、長年が経った今仕方ないことである。同級生全体を総じてみれば、思った以上にグループとしてのパワーと迫力感は低下しているようだ。どちらかといえば、ひそやかな寂しげなムードを感じてしまうのだ、何とか頑張りたいものだ。
自分は悠々自適となって以来、好奇の心に誘われて「やりたいことを存分に実行できる」至福の時を満喫してきたと思っていたのだが、私の至福の時も空元気だったのではないのかと疑い、少なくともこれからは我が体調と生き様の変化に改めて注意しなければならないということを確かめることとなってしまった。

■70歳代からのQOL
  「60,70花ならつぼみ、80,90花盛り」なる川柳を何時か見たのだが、いかにも後期高齢者を明るくとらえているが、本当はアイロニーではないのか。
「60,70洟垂れ小僧、大人は100から100から」ともなれば、まさに非現実的投げやり川柳となる。視力・聴力障害、腰痛、骨折、認知症のような普段の生活の自由度を低下させる「生活の質(QOL)」は、一般的に70歳代半ば頃から低下してくることとなり、80歳頃には多少の援助が必要となる人が多くなるという。これはあくまでもデーター上のことで現在の自分には当てはまらないと思っていたが、友人たちの状況に照らしわが身にも起こる現実のことであることを知ったのである。ならばいつ頃、どのような形で表れてくるのか、気にしていかなければならない。
待てョ、既に始まっているのではないのか、
  「目はかすみ、歯は落ちて、耳にセミ鳴く、秋の夕暮」なる駄洒落川柳の現象はそのあらかたを経験し始まっているからである。

■未体験ゾーンを生きていく
  人間にとって頭脳の重要性は論をまたないが、健康寿命を長えるのも正常な頭の維持と関わることである。これからの未体験ゾーンである人生の晩年期をどのように生きていくのかは、正常な脳の維持に関わることである。
改めてこれからの生き方、何を考え生きるのか、これから何をしようとしていくのか、何に意義を求めようとするのか。とにかく前向きの気持ちは持ち続けたい。出来ることなら好奇心を長続きさせ、喜(怒哀)楽の感情を長持ちさせ、世話になる人々への「ありがとう」の一言を忘れないようにしなければならないと思っている。
時偶々全米オープンテニスでの錦織選手の準優勝、日本人の一人として拍手を送れることを喜びたい。翻って傘寿の私達もそれぞれの人生を精一杯頑張ってきた。自分たちの人生晩年を自分たちへの褒め言葉で締めくくれることとしたいものである。



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