燦々会2018年新年会が開かれました2018/02/17 15:07

2月6日 例年通り「好の笹 日本橋店」において燦々会の新年会が開かれました.いつものように遠藤幹事にお世話になりました.何時もより出席が少なかったが,和気藹々楽しいひと時を過ごしたようです.
俊さんから写真が届きましたのでアップしました.新年会案内状もも添えておきました.


その他の写真はGドライブに置いてあります.ご覧になりたい方は管理人までお知らせ下さい.

                燦々会2018年新年会開催ご案内
初春のお慶びを申し上げます。
皆様にはお変わりなく、お元気に新春をお迎えのことと存じます。

今年も縁起の良いふぐ(福)料理を堪能しながら、十二支・戊 戌を祝う懇親会を下記の通りにて開催すること致し度、ご案内申し上げます。
つきましては、万障お繰り合わせの上、ご出席下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
今回も例年通り、ご夫婦での参加は大歓迎です。
どうか多数の皆様のご出席をお待ち申し上げます。 

                                        記
1.開催日時:2017年2月6日(火)12:00~15:00
2.開催場所:「好の笹 日本橋店」
東京都中央区日本橋2-4-3日本橋室町野村ビル3階 TEL03-3242-5261
(地下鉄銀座線/半蔵門線「三越前駅」A9出口から地下一階直結徒歩約1分、JR総武線快速/横須賀線「新日本橋駅」徒歩約5分))
3.会 費:¥9,000~\9,500/人(ふぐコース、¥7,680(税・サービス料込)およびヒレ酒等飲み物各種)の予定 
4.集合場所・集合時間: 開催場所に11:55に集合とさせていただきます。
                                                                                                以上



燦々会卒業60週年記念懇親会が開かれました2017/11/09 21:24

去る10月25日,日立目白クラブに於いて燦々会卒業60週年記念懇談会が開かれました. それぞれ様々な事情を抱えながらも17名の仲間が集い再会を喜び合いました.美味しいフランス料理を味わいながら,暫しのあいだ近況報告やら昔話やらで和やかな楽しいひと時を過ごしました. 話題は尽きずあっとゆう間に時間が過ぎてしまいました,お互いまたの再会を約束して散会しました.
何時もながら,遠藤幹事の計らいに感謝しています.

俊さんから写真が届きましたので,仮の記事をアップしました.






燦々会首都圏会’17年夏季(残暑払い)懇親会』開催結果のメモ by 遠藤2017/09/07 08:31

        燦々会首都圏会’17年夏季(残暑払い)懇親会』開催結果のメモ

     9月に入ってしまい、残暑払いの懇親会結果の報告にしては少々遅いのですが、燦々会首都圏会夏季懇親会結果をメモとして、以下に簡単に報告させていただきます。

(1) 開催日:平成29年8月30日(水)曇         
(2) 開催場所:星陵会館(日比谷高校に隣接している日比谷高校同窓会館)内4階
レストラン「シーボニア」にて開催。
(注)このレストランの売りはランチビュッフェ形式の食事、コーヒ-、
アルコール系飲物等飲み放題、制限時間2時間半で一人2,400円と、
割安なこと。
(3)参加者(敬称略):今泉、内山、加藤、鈴木俊、原節、山上、油谷、遠藤 計8名.
(4)今回は、卒業60周年の節目の記念懇親会について、出席された方々と相談させていただいた結果、
①開催日時:平成29年10月25日(水)12:00~
②開催場所:日立・目白クラブ
(東京都新宿区下落合2-13-28、建物は東京都から歴史的建造物内にあるレストラン&結婚披露宴会場)にて開催することとした。                                     以上
                                                                                  (H29.9.6 文責:遠藤)

なお,卒業60週年記念懇親会への出欠は9月12日までに遠藤幹事までTel/Faxでご連絡下さい.



女川原発の見学記 by 内山2017/06/13 13:11

                               女川原発の見学記

加藤和明さんから燦燦会メンバーに「女川原発の見学」のお誘いがあり、参加を願い出た。
仕事上、種々の工場の自動制御システムの設計に関わり、その中に、「緊急シャットダウン・システム」も含まれていたが、原発ではどうしているのか関心があった。(出発前、インターネットで調べて、その内容は大体把握できたが、現場を見たいという思いは更に強くなった)
(1)原発と被災地の見学
5月17日は女川原発見学、18日は岩沼市の被災跡地と相原邸の見学という内容であった。
・原発では地震を感知したら、①制御棒をすべて原子炉内に差し込み、原子炉の核分裂反応を止め
る⇒②炉心を冷却し続け、温度を下げ、冷温停止状態にする。という操作を行う。この②の段階で
は、冷却水循環ポンプを駆動する電力が必要で、外部からの電力が途絶えても、非常用ディーゼル発電機から電力を得る仕組みになっている。
・2011年3月11日14時46分に発生した大地震と津波が東北地方を襲い、東京電力の福島第
1原発(原発4基)では冷却水循環ポンプ用の非常用ディーゼル発電機が起動したが、津波の浸水で止り、冷却機能を失い、水素爆発を起こし、放射能汚染を引き起こした。周辺に多大な損害を与え、炉心はメルトダウンし、廃炉に多くの年月と、多くの予算を注ぎ込む事になっている。
・一方、東北電力の女川原発では非常用ディーゼル発電機が正常に起動し、冷却系統が正常に働き、原子炉を冷温停止させた。今回の見学で知った事だが、驚いた事に、女川原発では、法律で禁止されていたにも関わらず、避難してきた町民364人を約3か月間、体育館に受け入れ、避難場所の役割を果たしていた。この件で、女川原発が「法律違反の咎め」を受けていないのは救いであろう。
・福島第1原発では、津波の高さを5.7mと予測し、敷地の高さを10mにした。一方、女川原発
では津波の高さを9.1mと予測し、敷地の高さを14.8mにした。
・福島第1原発では、襲った津波の高さは予想を超える13mであったので、津波で浸水した。また、計装用電源もダウンしたので、炉内の状況の把握ができず、盲目状態に陥った。
・なぜ、東京電力は津波の高さを低く予測したのか?歴代の社長が文系で独占されている会社では、採算や政府への説明のし易さが優先され、安全に対する配慮が不足した可能性があると推定している。また、福島は東京電力の地元でないし、地元出身者が建設に当たっていない事も安全に対する配慮の不足になったか?
・東北電力は女川原発の建設に当たり、過去に、この地区を襲った大津波を幾つも調べ、過去最大と言われる、平安時代初期の「貞観津波」に耐える敷地の高さにした。原発では海水を間接的な冷却水として利用するし、建設時の機資材搬入を考慮すれば、敷地の高さは低い方が良いが、津波による浸水を避ける事を優先して14.8mの高さに決めたので、津波の高さより敷地が高く、浸水を免れた。冷却用の海水の取り組み口は津波の引き浪時にも海水が確保される構造にしていた事にも感心した。
・見学させて頂いた時、更に、安全性を高めるため、①14.8mの敷地の上に更に9mの高さの防潮堤を建設する、②建屋や配管系統の耐震性の向上対策を行う、③非常用ディーゼル発電機を山の上に増設する等の工事が行われていた。
・地震後、IAEA(国際原子力機関)は女川原発の調査を行い、「震源からの距離、地震動の大きさ、など厳しい状況下にあって、驚くほど損傷を受けていない。」と評価し、世界原子力発電事業者協会(WANO)は「原子力功労者賞」を授与している。
・平安時代前期(西暦869年・貞観11年)に発生した貞観地震は菅原道真が編集に関わった史書「日本三代実録」に記録されている。小倉百人一首に「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 浪こさじとは」という歌がある。清少納言の父・清原元輔(908~990)の歌であり、平安時代に東北で発生した貞観地震の記憶が読み込まれている。「末の松山」は海から2キロメートル程、内陸に現存しており、3月11日の津波でも、末の松山を浪は越えなかったらしい。
・視察者が我が国の放射線専門家の第一人者である為か、東北電力がバスをチャーターし、仙台駅⇒女川原発⇒秋保温泉の送迎をしてくださり、原子力副部長他1名がバス内での説明に当たり、女川原発では所長、副所長が説明に当たられた。東北電力の子会社の社長を歴任された相原さんの影響も大きいと感じた。
(2)日本の原子力安全委員会は2012年(事故の翌年)に廃止⇒原子力規制委員会へ移行。
・1981年~1982年に米国の研究機関が福島第一原発と同型炉について、「全電源が喪失した時のシミュレーション」を実施し、アメリカ原子力委員会に提出した。これを受けて、アメリカ原子力委員会は早速、これを、安全規則に反映している。
・この情報は当時の「日本原子力安全委員会(NSC)」にも送られたが、「日本では送電線などは早期に復旧する」として、全電源喪失を想定に入れず、1990年に、NSCが「原発の安全設計指針」を決めた時、「指針27」で、「長期間にわたる全部の交流電源喪失は、送電線の復旧または非常用交流電源設備の復旧が期待できるので、考慮する必要はない」としている。これは、「NSCの危機分析能力の欠如」を示すものではないかと思う。現に、「福島第1原発」では両方の電源を失い、短時間で復旧できず、大惨事を引き起こしている。
・災害発生時に「総理、原発は大丈夫なんです。原子炉は構造上爆発しません」と述べた当時のNSC委員長・班目春樹氏は責任を追及されていない。水素爆発の予測もできない方が委員長であった「日本原子力安全委員会」は翌年、責任不明のまま解散し、「原子力規制委員会」へと看板を書き換えた。今回の事故の責任は「天災」で済まされてしまうのか?
(3)原子力リサイクルの仕組みが完成しない。
・今回地震と津波を受けた原子力発電所は5か所であるが、4か所(福島第2原発、女川原発、東通原発、東海第2原発)は安全に冷温停止状態になった。いずれも、敷地内に海水が侵入していない原発である。つまり、災害に対応する処置をしていた原発は無事なのである。
・しかし、原子力を利用する場合、「使用済み燃料の処理をどうするのか?」という問題がすっきり解決していない。原子燃料の「再処理工場」は青森県の六ケ所村に建設されているが、度重なるトラブル発生で、竣工時期を23回も延期している。原子力をエネルギー源として利用する仕組みができているとは言えない。
原子力規制委員会のメンバーも入れ替えが必要だろう。原子力の専門家だけで構成されている様だが、常識人をメンバーに入れる必要がある。女川建設を指揮した方は、原子力の専門家ではない。
(4)岩沼市での被災地並びに相原邸見学
岩沼駅に到着したら、岩沼市役所のバスが迎えに来ており、説明者は「被災当時の市長さん」という贅沢なアレンジがされていた。視察者一行が我が国の放射線専門家の第一人者である事を岩沼市が判断して、このようなアレンジになったという事である。
相原邸は岩沼市の建築物で最古の歴史を誇る屋敷であるという。つまりは、岩沼市にある日本三大稲荷の一つである「竹駒稲荷」よりも、古く、1200年の歴史があるという。相原孝志さんから頂いた名刺の肩書は「岡二ノ倉 58代当主」である。
相原邸は土盛りをした小高い敷地に建てられた高床式の邸宅で、相原さんが命からがら、自宅の屋敷林にたどり着いた時は、高床の邸宅の床下まで水が来ていたと言う。詳細は、燦燦会のブログに寄せられている「本人の被災記録」(2011年5月23日付の「大津波からの必死の脱出」)に詳述されているので、そちらに譲るとして、九死に一生を得られた物凄い体験談であった。
相原邸では大人数が押しかけたにも関わらず、奥様、お嬢さまを動員され、万全の用意を整えて迎え入れてくださった。東北電力側のアレンジと併せて、心から感謝申し上げたい。




燦々会2017年新年会が開かれました2017/02/18 10:52

いつものように遠藤幹事の骨折りで燦々会新年会が2月8日に開らかれました.会場は「好の笹 日本橋店」でふぐ料理を楽しみながら和気藹々の会だったようです.会の雰囲気を伝える沢山の写真を俊さんが送ってくれたのでGoogleドライブに置いておきました.ダウンロードご希望の方は,管理人までご一報下さい.