メキシコ旅行記 by 志村2012/03/10 21:14

                                                                       平成24年3月10日   志村
燦々会の皆様
                                                                              
やっと厳しい寒さが終わりを告げようとしていますが、
皆様いかがお過ごしですか。

さて、小生、平成23年11月14日〜21日にメキシコに
行ってきました。その時の感想を書きます。
お手すきのときにお読み下さい。

私が行った所はメキシコ・シティとユカタン半島のメリダおよびカンクンで下記のところを見てきました。

1.メキシコ・シティ
      ソカロ広場、カテドラル、中央政庁、レフォルマ大通り、文化広場、 国立人類学博物館、メキシコ国立自治大学、
2.プエブラ
  大聖堂、サントドミンゴ教会、タラベラ工房
3.ポポカテペトル
  ウェホツィンゴフランシスコ会の修道院
4.メリダ
  古代遺跡ウシュマルとカバー遺跡観光、メリダ市内観光、野口英世像、チチェンイッツア遺跡
5.カンクン
  トゥルム遺跡観光

今回の旅行で感じた事は次のような事です。

(1)当初メキシコに行くかどうか、非常に迷った。
外務省のHPでは、地域により、「渡航の是非を検討してください」と「十分注意してください」となっており、安全とは書いてないので、一度はやめようかとも思った。今回訪れた地域は「十分注意してください」の地域で旅行社も「十分注意してください」の該当まではツアーを実施
するとの事だった。

(2)メキシコは車社会で、人間より車が優先する。人が手を挙げても車は止まらない。交差点には、車用の信号機はあるが、歩行者専用の信号機はない。都会では車が多く、交差している道路側の信号が青から赤に変わってもしばらくの間は車の列が続く。歩行者は十分注意して道を横断しないといけない。

(3)今回メキシコ・シテイからポポカテペトルまでガイドしてくれた人は日系二世の人で、以下この人をガイドAと書く。メリダからカンクンまでガイドしてくれた人は、メキシコの大学で勉強してメキシコが気に入り、ここに住み着いた日本人で、以下この人をガイドBと書く。

(4)メキシコ料理は2010年11月に世界遺産になった。しかし、私はメキシコ料理が美味しいとは思わない。ガイドAは日本の会社で働き、日本料理を知っている。彼もメキシコ料理は世界遺産になったが、美味しくないと言っている。今回の旅行の最後の日に日本料理店に行き、日本料理を味わった。
しかしこの店のご飯が美味しくなかった。店の人の話ではカリホルニア米だとの事だが、全然味のないご飯だった。

(5)ガイドBが30年ぶりに日本の実家に帰り、近くのコンビニでおにぎりを買って食べた。おにぎりの美味しさにびっくりした。こんなにご飯が美味しかったのかと驚いたとの事。現在、コメの関税率は778%、日本で1,000円のお米は外国では8,780円です。東南アジアの大金持ちはそれでも日本のお米を買って食べているとの事。

(6)国立人類学博物館を見学して分かったことは、メキシコがスペイン人に支配される前にいた先住民の言語、宗教等は日本に近いのだという事。同じ発音で同じ意味の言葉があるのだそうです。
また、先住民には日本人と同じ蒙古斑がある。宗教はやおよろずの神で神社があった。スペイン人は神社を壊したり埋めたりして、そこに聖堂を立て、キリスト教を広めた。今回の見学で最初に行ったメキシコ・シティのソカロ広場の近くに地面が掘り返されたままの所があった。地下鉄の工事を始めたら、
昔の神社の跡が出てきて、工事を中止して学術調査を待っているとの事。

(7)メキシコの教育制度は6,3,3,5だそうだが、学校に行かない人が多くいる。貧しく教育を受けていない人が1,200万人位いる。教育を受けていないために、文字が読めない、文字を書けない人が
いる。これらの人が生きていくために、強盗、窃盗などで生活しているのである。
日系二世、三世の人は親が子供に教育を受けさせているので、医者、弁護士や会社の幹部等になっている人もいて、殆どの人が中流以上の生活をしている。

(8)チチェンイッツア遺跡で、マヤ文明、マヤの暦を知った。大変古い時代に高度の数学、天文学が栄えていたのを知り驚いた。マヤの数学は20進法で、マヤ文字という象形文字があり、
希望者に有料で、暦を作ってくれる。私も自分の生年月日の暦を作って貰ったが、見ても文字が読めないのでよくわからない。

(9)時間の感覚が、メキシコ人と日本人では大変異なる。ガイドAは、メキシコにあった日本の会社に就職したのだが、最初に出社する時、日本人の父親より、時間は正確に守るように言われた。8時に来いとの事だったので、丁度8時に行った。しかしそれでも叱られた。8時に来いと言われたら、新入社員なのだから、15分前の7時45分には出社して、掃除をしたりして準備してみんなを待っているのだという事。その事を40年もたった今でも時々思い出されるとの事です。また、ガイドBはメキシコでは7時50分も8時も8時15分も全部同じで8時なのだ。ところが、或る時メキシコ人を連れて日本に来た事がある。その時に新幹線に乗る機会があり、8時03分発がまさしく8時03分に発車するので、一緒に来たメキシコ人は大変びっくりしていたとの事です。





















ロシア旅行記 by 志村2010/09/20 12:18

志村兄から「ロシア旅行記」が届きましたのでUPしました.
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                        ロシア旅行記


平成22年8月20日〜27日にロシアに行ってきました。その時の感想を書きます。
お手すきのときにお読み下さい。

私達が行った所はサンクト・ペテルブルクとモスクワが主体で下記のところを見てきました。

1.サンクト・ペテルブルク
  聖イサク寺院、血の教会、青銅の騎士像、
  エルミタージュ美術館、宮殿前広場、
  エカテリーナ宮殿、ピョートル大帝夏の宮殿の庭園観光、
  パヴロフスク宮殿観光、バレエ:白鳥の湖、
  ロシア美術館観光と運河クルーズ
2.モスクワ
  クレムリンのウスペンスキー寺院、赤の広場、
  聖ワシリー寺院、グム百貨店、ノヴォデヴィッチ修道院、
  モスクワ大学
3.セルギェフポサード
  トロイツェ・セルギェフ大修道院
4.スズダリ
  スパソ・エフフィミエフ修道院、
  ロジェストヴェンスキー寺院
5.ウラジーミル
  黄金の門、ウスペンスキー寺院

今回の旅行で感じた事は次のような事です。

(1)共産主義のソ連からペレストロイカでロシアになって、約20年が経過しているが、ロシアの人々の中には、前の共産主義社会の方が良かったと考えている人々が結構沢山いるのだという事をロシア人ガイドは言っていた。

(2)今回訪れた所は宮殿や寺院、修道院が多いが、これらはかってソ連時代には、一貫して弾圧を受け、多くの聖堂が破壊されたり、多数の聖職者などが虐殺され、甚大な被害を受けた。
その後、復活を遂げ、建物は修復され、現在は貴重な観光資源になっている。

(3)旅行の出発前にロシアでは今年は140年前に観測が始まって以来の最高気温を記録する
熱波が襲い、干ばつの被害、森林火災で相当の被害が出ている‥‥というニュースが報道された。
大分心配したが、幸い私たちが出発した頃にはおさまっていた。私達が行った頃は、ロシアは、朝晩は一寸寒いと感じるほどの涼しさになっていた。
観光中、森林火災があった所がバスから見えたが、もう発火するような温度ではなくなっていた。
ところが、日本に帰ったら、日本はまだ物凄い暑さがそのまま続いていたので、びっくりした。

(4)サンクト・ペテルブルクやモスクワでは道路は広いが、平日は仕事の車が多くて渋滞し、いつも観光の終了は真夜中の12時頃になった。走っている車の中に、結構日本車を多く見かけた。
逆に、土曜、日曜は仕事の車が走っていないので、道路は空いていて、予定より速く目的地に到着してしまう。時間が余ってしまうので、予定になかった所を案内してくれたりした。

(5)セルギエフポサードでトロイツェ・セルギエフ大修道院を見学後に我々のグループの人数点呼を
している時、日本人の修道士が我々に話しかけてきた。日本語を聞いて懐かしく思ったとの事である。
案内のロシア人ガイドもここに日本人の修道士がいるという話は聞いていたそうだが、会うのは今回始めてとの事であった。

(6)日本にたとえるとサンクト・ペテルブルクは京都、モスクワは東京に相当する。しかし日本と違うのはサンクト・ペテルブルクの人はモスクワで仕事が出来ないシステムになっているそうです。
サンクト・ペテルブルクの人がどうしてもモスクワで仕事をしなければならない時にはモスクワの女性と偽装結婚するのだそうです。そして、仕事が順調にいき、仕事を続けられる権利を得た段階で離婚するのだそうです。

ロシアの人々は共産主義革命とペレストロイカという二度の大きな変革をしてきて、その過程で一時は大変激しい弾圧などがあり、多数の死者、投獄などの犠牲者を出しているが、演劇、音楽、文学などはそのまま、現在に続いてきている事に感心します。
                                                                                平成22年9月18日  志村浩道
       
                                                                          
















アンコール遺跡旅行記 by 志村2010/03/31 08:30

燦々会の皆様

春まだ浅いこの頃、皆様いかがお過ごしですか。

さて、小生、平成22年3月4日〜8日に妻の啓子と
世界遺産アンコール遺跡群探訪の旅行ツアーに
行ってきました。
その時の感想を書きます。お手すきのときにお読み下さい。

私達が行った所はカンボジアのシェムリアップで、
下記のアンコール遺跡群を見てきました。

1.アンコール遺跡群7世紀〜10世紀
ロリュオス遺跡群(プリア・コー、バコン、ロレイ)
アンコール遺跡群観光(プラサットクラヴァン、東メボン、
   バンテアイスレイ)
2.プレループ遺跡からの夕日観賞
3.アンコールワットの朝日観賞
4.アンコール遺跡群11世紀〜12世紀初頭
   ベンメリア遺跡観光
   アンコールワット観光(第一・第二回廊のレリーフ(彫刻))
5.アンコール遺跡群12世紀初頭〜12世紀末
   アンコール遺跡群観光(プリア・カン、ニャック・ポアン、
         タ・プロム)
   アンコール・トム観光(南大門、バイヨン、パブーオン、
       ピミヤナカス、象のテラス、ライ王のテラス)

今回の旅行で感じた事は次のような事です。

(1)観光したのは、3月上旬で日本ではまだ寒い日が多く、
冬の服装ですが、カンボジアでは連日36℃を超える
気温で、完全に夏です。

(2)巨大な遺跡群をみると昔はここに巨大な王国が
存在し、このような巨大な建造物を作る技術を
持っていた事にまず驚かされます。

(3)現在のカンボジアは農業国で、国民の所得も低い。
カンボジアは雨季と乾季があり、遺跡観光が出来るのは
乾季だけで、案内してくれた現地人ガイドも乾季の今は
仕事があるが、1年の約半分の雨季には仕事がなくなる
との事。
遺跡の保存、修復には、フランスや日本など他国が
協力や援助をしている。

(4)夕日観賞と朝日観賞では、ここの遺跡群の観光に
来ている人々がほとんど一か所に集まってくるので、
観光には世界各国から来ている事がわかります。
人々が話している言語は日本語、英語、ドイツ語、
フランス語、韓国語、中国語などさまざまです。

(5)カンボジアは年中暑いので、お昼の休憩時間は長い。
公務員は昼休みは11時から午後2時までと3時間の休憩が
決まりだが仕事が少ないので、実際はもっと休んでいる
ようです。
我々も観光中、昼休みの時間を取って昼寝をしたが、
昼寝をするとすっきりして午後の活動に良い事を実感した。

(6)カンボジアでは15歳以下の子供の病院治療費は無料だ
そうです。ただし国民は貧しいので、地方から都会の
病院までのバス代などの交通費が現在は問題になっている
ようです。
住居は地方では高床式の住居になっている。雨期には雨で
地面が水浸しになる事もあるので、高床式は必要のようです。

(7)カンボジアでは子供の義務教育はない。日本人が運営している
日本語学校や他国の人が運営している学校に通っている子供も
いる。今回の旅行の現地人ガイドも日本語学校で日本語の勉強
をし、その後自分で勉強して、ガイドの資格を取ったとの事。
観光中、学校帰りの子供たちを見かけたが、殆どの子供が
はだしで歩いていた。履物を買えないほど貧しいのです。

(8)観光地をバスで移動中、ナンバープレートを付けていない
自動車やバイクが走っているのを沢山見かけた。
ガイドの話ではそれらは登録していないので税金を払っていない。
警官につかまれば罰金を取られるとの事。
また、バイクではヘルメットの着用がルール化されたとの事だが、
実態では半数位がヘルメットを着用していない。ものすごく暑い
国なので、ヘルメットをかぶりたくない気持ちも良くわかる。
ヘルメットを着用していないで警官につかまれば罰金を
取られるとの事。
所々で、警官に捕まっているのが見られた。
ガイドの話では警官が取り締まりで得た罰金の30%位が国に行き、
70%位は警官の賄賂になるとの事です。

(9)カンボジアでは、小学生位の子供がバイクを運転したり、湖の
クルージングの手伝いの仕事をしていたりする。
カンボジアでは、バイクの運転は100CC未満の場合は免許証は
必要ないそうです。

(10)ホテルのテレビでチャンネルを回したら日本のNHKが出た。
日本と時差は2時間なので日本では8:15〜8:30に見ていた
朝ドラ「ウエルカメ」を現地で6:15〜6:30に見る事が出来た。
ニュースで北海道や日本海側で寒波が来て、大雪になり
雪かきしているニュースをカンボジアでエアコンで冷房して
いる部屋で見た。ちょっと妙な気分になった。

カンボジアもこれから何年か後に義務教育を制定するようです。
カンボジアの様子を見て、これは日本の明治時代の前の幕末の時代
が、多分このようなものだったのではないかと思いました。












雨の偕楽園2010/03/20 18:53

数日前,水戸在住の友人から冷雨の偕楽園の写真が送られてきました.季節は桜へと移りつつありますが,趣きある写真ですので掲載致しました. ご覧下さい.

生憎の天候のなか高校時代の友人の急な梅見に付き合ったときの写真だそうです(3月9日撮影). photoshopで仕上げ処理してあります.






偕楽園の梅2010/03/12 11:39

本日の朝日新聞朝刊に報じられているように偕楽園の梅の花が見ごろになってきました.
昨日見に行ってきました.その時の様子です.平日にもかかわらずけっこうな人出でした.
人を写さないようにするのに苦労しました.






おまけ