相原兄が労作 「大津波から必死の脱出 そして 国を想う」を上梓しました2012/03/08 15:57

相原兄はあの大震災の際大津波にのみこまれ九死に一生を得て生還すると言う想像を絶する経験をしました. その彼が, 大震災から1周年を目途に書き上げた労作 「大津波から必死の脱出 そして 国を想う」をこのほど丸善から出版いたしました.

本書の帯に,大津波から必死の脱出を果たした著者が,"その体験と教訓を後世に伝えたいと書き下ろした渾身の一冊”, "わが国のさまざまな問題を独自の目線で鋭く切り込む提言の書”とありますように,本書の内容は、第Ⅰ部と第Ⅱ部の二部構成になっております.

第Ⅰ部は、大津波から必死の脱出 そして原発事故
 1 大津波から必死の脱出
 2 巨大地震と大津波のこと
 3 震災で知った人の心
 4 瓦礫の中で思うこと
 5 原子力エネルギーは敵か味方か

第Ⅱ部は、進まぬ震災復興 不安な日本
 1 進まぬ震災復興
 2 わが国は日本が国家であることを忘れている
 3 目を覚ませ弱虫日本
 4 戦後の日米関係
 5 戦後日本のおかしな振舞
 6 太平洋戦争の総括
 7 弱虫日本からの脱出

彼からのコメントに,「なお第Ⅰ部は自分の体験を書いたものですが、第Ⅱ部は小生の持論で皆様方の意見と相違するかもしれません.」 とありました.
本書を恵贈いただいたばかりでほんの少し目を通しただけですが,相原兄が本書に託した熱い思いが伝わってきます.

なお,本書はお近くの丸善で求めることが出来ます.
写真は本書の表紙と裏表紙です.




産経新聞 乾編集長との話 by 相原2011/08/08 13:20

                     H23.8.3

  産経新聞 乾編集長との話


・今や日本政治はとんでもないこととなっているが、我国には非常事態へ対応する仕組みが出来ていない。このような場合国際的には軍部によるクーデターが考えられるのだが、日本では自衛隊が弱く起きえない話だ。


・菅首相を降ろすための動きがあるが、その一つは小沢一郎氏による不信任案提出だ。

一事不再理の原則は法定事項ではなく、慣例であって再度の不信任案提出は可能だ。

8/10以降に動いてくるかもしれない。但しその場合民主党を割って出ることとなる可能性があり、小沢氏は裁判を抱えているし他にも党首の成手がいないのだ。ついでだが、小沢氏の裁判は証拠不十分で無罪になる可能性が高い。


・民主党の人々は国家の3要素(領土、国民、主権)について十分認識しておらず、しかも国家をどう統治し運営していくかの基本即ち統治術を十分学んでいない。従って菅首相が代わっても民主党政治は変わらない。

・自民党でも結局同じようなもので、今の政界には国を統率していく人材がいないのだ。

これは戦後エリート教育をしてこなかったからで、菅首相だけの話ではない。従って菅が辞めても政治は変わらない。

・ただ今次震災対策については自民党であれば、官僚に丸投げするだろうから民主党より速く動くことができたかもしれない。


・旧制大学はエリートを育てる学校だった。旧制東大は国家のための政治家、官僚、学者を育てるための学校で、今の新制東大とは全く別な大学なのだ。

・また人材が輩出されないのには、社会が豊かだということもある。従って将来、今回の被災地から人材が出てくる可能性があるかもしれない。


・今日の日本政治は議会制民主主義崩壊の危機にあるのかもしれない。国民が今の政治に飽き飽きし、政治不信どころでなく日本政治は落第と見放す時、カリスマ性を持った独裁者が出てくる可能性があるかもしれない。既に大阪ではそれらしき人物が出ているし、全国的にもその傾向が出てくる可能性はある。


・国政選挙の可能性については、今実施すれば民主党過半数割れは必然で、代議士先生も失職を一番嫌っていることから選挙にはなかなかならないのではないかと思う。



大津波からの必死の脱出 by 相原2011/05/23 19:24

                                                                            平成235

         大津波からの必死の脱出


                                        相 原 孝 志


大津波に巻込まれ 必死の脱出を試み、何とか一命を取止めることができた。この短期間の経験は大変厳しいものではあったが、普段ではとても得られぬ貴重なものでもあった。しかもその経過の中で感じたことや考えたことは諸々あって、それらが今後の人生にどんな影響となって表れてくるのだろうか、改めて人生が変わるかもしれぬ岐路に立たされているようにも思う。


大震災との巡りあい

平成23311日はやや肌寒の金曜日であった。期限間近だった確定申告を終え、もう一つの懸案であった町内会用務の法務局への手続きのため当日午後出掛けたのがこの度の震災と出会う切欠となったのである。後日でもよかったものを何故この日に行動開始したのだろうか。用事を全て済ませ我が家近くの観音堂近くを走行中、地震警報を聞いた。間もなく車が左右に大きく揺れ運転できない。停車し揺れが納まるのを待つ。観音堂本堂は大きく傾き、正面扉や側壁が壊れ倒壊寸前の状況となってしまった。さて町内会長としては、皆の安否が気になる。


安否確認か避難指示か

車を自転車に乗り換え町内を見回る。安否確認もさることながら、津波襲来を予測して避難指示とすべきだったのではないのか。結果論だが、避難所への一次避難は無理だったし避難すべきではなかったと思う。何故なら、避難場所である学校までは途中高所のない23Km程の平坦な避難経路なのである。避難を強行した場合、かえって津波に遭遇する人々が出ることとなったと思う。この度の震災を経験して、改めて平坦な地域での津波に対する一次避難をどうすべきか考えておかなければならないことは確かとなった。従来からの自主防災体制だけでは不十分であり、抜本的な対策見直しが必要である。


アッ津波だ その時

車とともに津波に飲み込まれた経緯を記しておかねばならないだろう。町内を一巡し自宅に戻って間もなく、門前に異様な水が流れ込んできているではないか。なんだこの水。海側をみれば大きな波が押し寄せてきている。津波だと分って一瞬思ったのは巨大津波の脅威ではなく、買ったばかりの車がイタマシイ(もったいない)ということだったのである。車諸共逃げ出さなければならないと、飛び乗りエンジンスタート急発進、水位はまだ低い逃げられるかどうか、命の危険はまだ感じていなかったと思う。水流が急に早くなったようだ、車が浮上したと感じた瞬間ハンドルが私の言うことをきいてくれない。操縦不能を直感し、補助席側のドアより浸水し始め身の危険を感ずる。ガラス窓を開け間もなくエンジン自動停止。車は私を乗せて流れ始まっている。どうしようもない、何か動転しているようだが、頭の半分ではこれからどうすべきかクールに考えてもいるらしい。その証拠に右手の人札指を窓際の流れに突っ込んで味を見たのである。冷たくショッパイ、これは海水だなと妙に納得したのだった。私を乗せた車は幸いにも我が家の屋敷林(イグネ)の杉の大木に流れ着き止まった。周りの水流はかなりの速さだ。この水中に今脱出したのでは流されてしまう。ドアに腰掛け時を待つこととしよう。既にこの時ドアは内側から開けようにもびくともしない。ちょうど手頃な松丸太が流れてきた。しがみつき車外に脱出、冷たい、しかも背が立たないのだ。下手に動かず流れに身を任せ、離れた雑木林にたどり着く。あ、助かったんだ、危なかったんだと身震いした。自分の屋敷内故、状況は分かっていたつもりだったが、母屋までの水中徒歩前進は逆流でもあり難儀なことであった。掴まるもののない庭を過って、ようやく玄関に到着、屋内に入って寒さがどっと出てきた。震えが止まらない。自分の思うことが実行できない。このままでは低体温症とかになるのだろう。大急ぎで旧式石油ストーブに点火、脱衣し始めたがなかなか脱げない。下着が脱げないのだ、ハサミで切り開きたいほどのもどかしさだ。ストーブを抱きかかえるように暖をとる。流されてから何時間経過したのだろうか。停電だ、ラジオをつけようやく外を見る。流れはゆったりとなったようだが海から陸側に流れ、色んなものが流れている。昭和16年の阿武隈川堤防決壊による洪水の流れと逆方向だなと妙なことに気が付いた。夕刻の我が家は大海の中の孤島となってしまっている。ようやく熱い緑茶を啜る、暖かさが身に染みる美味い。ようやく命が危なかったことを痛感する。改めて我が家の前は大海原、満々と湛える津波海の中の我が家、夕闇が迫る。電話不通、携帯浸水、連絡方法が無くなってしまった。

改めて薄暗い家中を調べる。ギリギリのところで床上には浸水していない。地下室には換気ファンからだろうか浸水しているようだ。壊れた瀬戸物や落下した絵など被害甚大だが、これは止むを得なかろう。建物は母屋も納屋も外観上は被害がなさそうだ。5年前に建てた母屋は、洪水対策のために考えたコンクリート製高床式基礎がよかったんだと思う。

あまり食欲もなく真っ暗闇の中、乱雑に散らばった部屋はそのままに、とにかくラジオを聴きながら就寝したが中々寝付けない。床上浸水を回避でき自分の寝床に寝れるだけでも良しとしなければならない。それまでのことを一通り思い出してみた。エンジン停止前に窓開放は正解だったろう。また津波に気がつくのが遅かったのだが、これは町内見回りのため車から自転車に乗り換えた際ラジオを携帯しなかったからだが、あれだけ大きな地震であれば、大きな津波を予想しなければならない筈だった。貞観津波のことは知ってはいたが、この地域は津波とは関係ないとの先入観があったのだ。自分の知識と認識との間の乖離は何とも歯がゆい限りだ。


夜が明けて

312日朝早々に目が覚めてしまった。晴れている。改めて外を見て驚いた。何時の間にやら我が家の入口通路上に巨大な一物・緑色の大きなタンクが横たわっているではないか。昨日は気が付かなかったが何処から流れてきたのだろう。大海の孤島、水位は下がってはいるがまだまだ水深あって隣家には渡れない。タンクあり瓦礫や塵芥多く道路も冠水して、舟でなければ危険だ、無理はすべきでない。

家族とも町内の人たちとも連絡できない、連絡方法遮断、情報孤立状態だ。家族は無事か、町内はどうなってしまっているのか知る由もない、人々の安否がとても心配だ。停電、断水、NTT電話不通、携帯も冠水不通、LPガス停止と無い無い尽しだが、残っているラジオだけが頼りだ。後の祭りだが、車から脱出する際携帯を頭上の帽子の中に入れる浸水対策があったろうが、命からがらのあの時はそこまで気が回らなかった。津波最高水位は我が家門前で約2㍍、痕跡が残っている。これはギリギリで床上浸水のならない限界だったが、地下室には換気扇から浸水しこれからの排水が大事だ。

さて孤島となった我が家での生活は可能だろうか。まずは食料在庫調べ、玄米と味噌あり、取り置き水有、灯油備蓄あり、カセットコンロとガスボンベ有、乾物類有と一週間程度の耐久生活は可能と判断される、まずは一安心。


救助を求めて 白旗を

家族と町内の人々の安否が気になり、我が家上空を飛行しているヘリコプターに知らせるべく白旗を作って救助を求めることとした。ヘリが上空に来るたびに白旗を振ったが、どのヘリも見向きもしてくれない。地震から丸一日が経過した。我が家の周りには何の変化もない。この地に起きた昨日の出来事は何だったのか、我々に対する神の試練なのか、我々に何をしろというのだろうか。事の重大さを実感していくほどに、この現象は何なんだと妙に腹が立つ。

夕方近くになり真黒で大きなヘリコプターが我が家上空を南下していく。急いで外に出て白旗を振った。気が付いてくれたようだ、Uターンしてきた。迷彩服の自衛隊員が降りてきた。何人か、急げという。大急ぎで家の戸締りを終えた、メガネを外せ、腕を組めという、吊り輪に体を通す、あっという間にホバリング中ヘリに吊り上げてもらった。ありがとうの言葉はエンジン音に掻き消されてしまった。隊員は操縦席2名と、助けてくれた隊員3名の5名のクルーだった。地上3050㍍を飛ぶヘリから見る我が家の周辺は一面鈍く光る水面だ、次は海岸に近く被害が大きいであろう隣の二の倉集落である。


根こそぎ浚われた海岸寄り集落 

ここでも孤立していたのだろうか十数名が救助され機中は満席となった。その間つぶさに見ることができた地上の様子は、昨日まで存在していた集落は根こそぎ浚われ、家の土台だけが見える、壊れた家屋自体は流されてしまったのだろうか部材の一つもなく跡形を残していない。遺体らしきものも見える。電柱が同じ方向になぎ倒されている。少しばかり離れている海岸は何時ものように波が打ち寄せているが、汀線に沿って延々と造られていたごつい防潮堤は、特に背面が抉られ破壊され、大きく決壊しているところもある。自然の力の強大さと人間の力のひ弱さとを見せつけるような情景だ。


感激 生き返ったことを実感 

救助を終えたヘリは、夕闇迫る頃岩沼市の体育館グランドに着陸、地に足をつけて生き返ったことを実感する。隊員一人へ感謝の気持をこめて握手を求める。エンジン音の中で見せた彼の白い歯が印象的だった。彼のあの笑顔は長く私の心に残ることだろう。

そしてもう一つ感動的シーンが続くのである。それは地上に戻って間もなく、私の長男が出迎えてくれたのである。「アッ、生きていたのか」と大きな一言、息子の目に大粒の涙を見たのだった。彼は既に我が家近くまで捜索し家が孤立していること、隣近所の人々から生きているとの情報も得られないことから、既に津波に巻き込まれてしまったのだろうと思っていたのだ。そこで体育館近くに設けられていた遺体安置所に来ていたのだった。そこでの再開故、驚きそして喜んでくれたのである。


それにしてもこれは神の仕業か  

「色々な恵みを与えてくれる海だけど、今度だけは恨めしい」という年老いた漁師の声に思うことは多い。この大災害を通して神は我々人間に何を言わんとしているのだろうか。単に辛さや苦しみを与えようとするだけなのか、そうではあるまい。他に何か告げようとしていることがあるのではないのか。人類に対しそして文明社会に対して「神が告げようとしていることは何なんだ」。

伊奈かっぺい氏は言う「天災に失う言葉、神を罵りたい」と。「この度の神は何と思慮分別も見極めもない神であることか、実に馬鹿げており愚かな神だと罵り続けてやる。過ぎる悲しみを怒りに変えて思い紛らす方法もあるのだぞ」と。

本当にこれが神の仕業なのだろうか。この度の震災は物質的被害も甚大であったが、人々が被った人命被害や悲しみ、口惜しさなどの精神的苦難も甚だしいものがあり、これらの受難には憤りすら感じてしまう。私は元々無神論者ではない。それはこれまでの人生の中で、人力を超越していると感ずることに幾度となく遭遇してきている事実があるからで、身体機能の精巧さを知り、自然界の諸々の不可思議を感ずるとき、また神々しいまでの自然を目前にした時などの、これは神業であるとしかいいようのない事態に幾度も出会ってきているからだ。したがって創造神の存在も否定しないし、自然神や祖先霊も信じている。神とは、神の存在によって神を信ずるのではなく、神を信ずるが故に神が存在するのだと思うからなのだ。従って神を信ずることが出来なければどうなるのか。この度の震災が神の仕業とすれば、神はやり過ぎだったか間違いをしでかしたのかもしれない。伊奈かっぺい氏の言分にも一理あると思わざるを得ない。

さて一方で、現代文明社会の人間たちは自分たちの利便性と快適性そしてスピード化と軽薄化を何処までも追い求めており、その欲望は止まるところを知らぬげである。しかも最近では、我々人間は「地球に優しく」「環境に優しく」といい続けている。地球にしてみれば、人間に面倒を見てもらう程に落ちぶれてはいないといたいのではないのか。地球と自然の力は偉大でありそしてそれらを統べるのは神であるのだ、人間の知恵と力はまだまだひ弱だし邪念も多い、「地球に優しくは人間の傲慢だ」「人間よ奢るな」といおうとしているのではないのか。人間は文明社会の限りなき欲望追求から一時立止まり、文化的観点も含む社会的変革を求めるべきではないのか。人間はもっと謙虚になるべきだといわれているようにも思える。この大震災を契機に人類は、技術的に、倫理・哲学的に、社会的になどあらゆる視点からの総括があってしかるべきであると思うばかりである。


感謝あるのみ

振返ってみれば、この短期間に経験したことは厳しいことではあったが、普段ではとても得られぬ貴重なものであったと、生還出来たからこそ言えることなのだろう。そして色々と思うこと考えることが与えられたようだ。車とともに津波に巻き込まれたものの九死に一生を得た命、それに対して他の人々が受けたであろう苦難、その後時の流れとともに思う人間社会の限りない欲望のことなど色々あるが、今の自分が家族とともに生きられることには感謝しかない。自分は「私も被災者です」などとは言うまい。励ましやお見舞いをいただいた方々には無論のこと、世の人々に今感謝できることが嬉しい。




                                                       震災直後のわが家


                                                  震災直後のわが家遠望(岩沼市)


                                                      大津波一週間後    


                                                         三月末のわが家遠景

3.11 東日本大震災に思う そのⅠ by 相原2011/03/27 12:36

 先の大地震で津波にのみこまれ九死に一生を得て生還した相原兄から手記が届きましたので掲載しました. 相原兄の無事を燦々会一同心から喜んでいます.

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                                                                                 平成23.3.26

 

                3.11 東日本大震災に思う  その1         

                                                
                                      相原 孝志 

                           

325日夕 久しぶりにPCを立ち上げました。多くの方々から激励のメールを頂きました。大変嬉しくまた生きる力を頂いた気持ちです。大変ありがとうございました。

震災以来2週間が経ちましたが、その間多くの経験をし考えることも多々あるのですが、その一部を皆様に聞いていただくことで、当面のご挨拶にさせて頂きたいと思っています。

私は今、生きています。皆様にお礼を申し上げらけることを心より喜んでいます。

 

福島第一原発の空撮映像を見て

福島第一原発 原子炉建屋鉄骨の飴細工よろしく曲りくねった惨状を見て、これはただ事でなくなっているとの思いを強くしたのです。

ところがこの映像を見て、TV出演の専門家は極めてクールに説明されているのです。何故「これはひどい」の一言が出ないのでしょうか。原子炉格納容器や原子炉圧力容器の状況は知る由もありませんが、この建屋の惨状からして素人目にも「とんでもない厳しい大事故」となっていると思うのです。最新技術を誇る原子力発電所のこの無様な姿は、海水をぶっかけて冷却するしか方法のない現状は、何とかこれ以上の事故拡大やメルトダウンとならぬことを祈るばかりです。これまで経験し対策してきた火力発電所での津波対策を、原子力プラント設計技術者はどれだけ取り入れてきたのでしょうか。それにしても現場の人々の努力に感謝し危険の少ならんことを祈っています。

 

太平洋沿岸の地盤沈下について

この度の地震によって、太平洋沿岸部が90㎝から1m程度沈下したといいます。そのため大潮の今、浸水や冠水に注意すべしといわれています。

ところで、この地盤沈下は理屈に合わない現象だとある先生から指摘を受けたのです。その先生の言われるのに、相原君の実家はこの度の震災を真面に受けただろうが、今後起きるかもしれぬ大きな余震にも注意しなさいというものだったのです。

普通、海溝型地震では陸側プレートは、ストレス解放によって沈下ではなく隆起するのが普通ではないかということです。ということは単純に考えれば、今回の地震は途中で休止しているのではないかということもいえるかもしれません。そのためM7程度の大きな余震が予報されているのかもしれません。ただ東北地方が乗っかっている北米プレートの内部で地殻変動が起こり、その結果として太平洋沿岸が沈下したということもあるかもしれません。なお関連して余震が多いことの解明も必要となるでしょう。北米プレートにかなりの地殻変動が起きているらしいのは、最近発生している長野や静岡の地震も地殻変動に誘発されたものといわれています。いずれにしてもそろそろ地震学者による今次大地震についての説明があってもよいのではないかと思っています。

とにかく私の実家に押し寄せてきたあの大津波、浜辺の青松を引き抜き乗り越えてきた恐ろしく高く白い波頭を持ったあの津波には二度と来てほしくないのです。



尖閣諸島 守ってもらえるの by 相原2011/01/18 14:34

      

                                H23.1.18

尖閣諸島 守ってもらえるの

                                                               相 原 孝 志


昨年9月の尖閣諸島事件で、我々国民は我が国の国防がとんでもない状態であることを知った。そして極めて貧弱で幼稚な日本外交の実態を見ることとなり、我々は政府に対し景気対策を言っているだけでは不十分であることを知ったのである。経済問題が重要であることは当然ながら、政府が果たすべき役割は経済だけだと考えてもらっては困る、国家としての基本的役割を認識してもらわなければならない。そういえば戦後の我が国は、国家の基本的使命を放擲し、国家として求めるべき将来像(国家ビジョン)の国民的合意もなく過ごしてきている。何とも情けない話だ。

中國はこのような我が国の情けない内情を十分知り、アメリカが領土問題には不干渉を決め込むことを見越して、自国の野望の実現に乗り出したと考えるべきだろう。従ってこの度の尖閣諸島事件は、一過性の偶発的事件ではなく起こるべくして起こったとみるべきだろう。しかも今回の決着で味を占めた中国は、更なる挑発を続けるのではないだろうか。ならば今、日本は何をなすべきなのか。そしてその時米軍は尖閣を守ってくれるのだろうか。それは日米安保条約の問題である。


日米安保条約 第五条とは

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」


・日米安保条約 第五条の解釈

この五条が機能するのはまず「武力攻撃」があった場合である。また武力攻撃があったとしても、米国は「自国の憲法上の規定及び手続に従って対処する」となっており、議会の意向がどうなるか、また時間もかかるということとなる。

なお今回の中国漁船は、偽装工作船で船長は佐官級工作員だというのが巷の噂だが、民間船による場合は安保対象とはならないのだろう。

・現実にはどうなるのか

現実にはどうなるのか、軍事的に守ってくれるのかそれとも守ってくれないのか。結局米国は「尖閣を守ることはない」ということになりそうなのだ

何故なら、中国軍による尖閣攻撃が起きた場合まず自衛隊が対応する。初期の段階で米軍は参戦しない。自衛隊が勝てばそれでよいが、負けたらどうなるか。管轄権は中国に移り中国が実効支配する事態となる。その際には、米国は尖閣を中国領と認めることとなるので、日米安保条約は適用されないことになる。この過程の中で結局、自衛隊が勝っても負けても米軍は出動しないのである。米国のお手並みお見事。米国は領土を巡る他国の紛争には中立であり、実効支配を承認するというのだ。


上記を裏打ちする下記の米国側見解・発言

1996.9.15 モンデール駐日大使の発言。

「安保条約によって島を巡る紛争に、米軍が介入を義務付けられるものではない」と発言している。このため大使は解職された。このことに対する米政府発言はロイターによれば次の通り「尖閣諸島は日本の管轄下にあり、安全保障条約の対象である。しかし領有権については日中のいずれ側にもつかない」。

2004.3.24国務省表明は、「1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の管轄権の下にある。1960年、安全保障条約第五条は、日本の管轄地に適用されると述べている。したがって、第五条は尖閣諸島に適用される。尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場をとらない」

2005.10に署名された日米同盟「未来のための変革と再編」では、「日本は島嶼部への侵略は自ら防衛する。島の防衛は日本の役割である。日米共同の役割任務ではない」となっている。


米国の基本的姿勢

米国は、日本の軍事的自立を恐れており特に核武装は認めないだろう。「日本に軍事的攻撃能力を持たせない」「日本を軍事的準禁治産者にしておく」というのは、米国の占領以来の一貫した基本姿勢なのだ。

これに対してわが国では、1992年の日本の防衛白書で、日本に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも「日本周辺の不安定要因にならないように最小限の防衛をする」となっており、米国の対日基本姿勢に対応している。


神保町から古地図が消えている

神田神保町から尖閣諸島の古地図が消えている。大学の図書館の地図も破られている。沖縄県内で中国の活動が活発化しているのではないか。尖閣で明白な侵犯が起きているのに沖縄本島内では呑気に鈍感であってはならない。


(参考資料) 「尖閣戦争」 西尾幹二、青木直人 著


クリントン長官発言 モンデール発言を踏襲せず(2010.10.28 共同通信)

「尖閣諸島は日米安保条約第5条の範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している」と発言。  ()「尖閣諸島が占領されても日米安保を適用する」との意味か。