地方消滅は本当か (子供を作らなくなった日本民族) by 相原 ― 2015/03/17 21:38
地方消滅は本当か
(子供を作らなくなった日本民族)
相 原 孝 志
■消滅可能性都市のこと
多くの市町村が「消滅可能性都市」となるという、本当か。2040年には全国1799の都市の内、896の市区町村が「消滅可能性都市」となるというのだ。それは人口減少によるものであり、20~39歳の若い女性の減少と大都市圏(特に東京圏)への若者の流出が原因であるという。地方都市の約半数が消滅する可能性があるというのだが、これは只事ではない。
しかも人口減少がその一因である以上、地方消滅対策は人口問題として解決できることではなくなってしまった。何故ならわが国の人口問題は短期間に解決できることではなく、人口減少は相当長期間続いていくこととなるからです。
■わが国の人口問題
出生率約1.4で子供を作ることを忘れたわが国は、今や総人口5000万人を目指して国力を低下させていく。わが国の人口は2008年の1億2800万人をピークに人口減少過程となっており、今世紀半ばには1億人を切り、今世紀末の2100年には5000万人と現在の約40%まで減少する予想となっている。しかもこれまでの総人口の減少速度は高齢者の高寿命化によって緩和されてきたが、これからは加速されていくこととなる。
人口を維持できる出生率は2.07だが2013年の出生率は1.43と低位にあり、わが国の人口問題は簡単には解決できない問題となってしまっている。これから少子化対策が実行され出生率が高まったとしても現実に人口が増えるには時間がかかり、わが国の人口問題が解決されるのは何時のこととなるのか分からない。
またわが国の人口問題として注目すべきは、最近の日本人は子供を作らない風潮が強くなっているようで、親自身が自分を大事にしたい、人生を楽しみたい、女性は自分も仕事をしたいなどとの思いが強くなっており、未婚者が多くなっていることがこのことを示しているともいえるようだ。これからの少子化対策は中々難しく人口増加は並大抵のことではない。子供を産まない民族となってしまえば、残念だが人口回復は不可能なのではないだろうか。
■地方消滅は本当か
地方消滅とは地方が消えてしまうことなのか、それとも自治体が無くなるということなのか。地方消滅とは何かをはっきりさせておかなければならない。若い女性が減少し、あるいは人口が大都市部へ流出することで、ある地方が存在しなくなるということなのだろうか。人口が減っても直ちにゼロになってしまうのではなく、何らの対策もなければ消滅してしまう可能性があるということではないのだろうか。地方が消えてしまう前に、行政機構が機能低下を起こす過程があるはずで、その中で地域維持のための努力がされるはずである。そして住民は闇雲に大都市へ出ていくのではなく、地元の住環境が充足されていれば住みつづけ地方は消滅しないはずである。社会保障機能や雇用などが確保されていれば、人々は基本的にその街を出ていくことにはならない。人口が減少し、住環境が低下していく過程で、行政と住民とが状況悪化改善に努力すれば地方消滅を防げるのではないかと思う。簡単に「地方消滅」などといってほしくないのである。地方消滅防止対策として、実態に応じて改革、改善、工夫などをすべきである。これらの諸対策によって若い女性の減少と人口流出をある程度防げることとなれば、地方消滅にはならないはずである。
中でも地元出身者の大都市流出防止対策は真剣に考えなければならない課題である。地方が折角育てた若者が学業終了とともに大都市へ就職してしまうことは余りにも残念であり、地元定着対策として「地方の雇用の場の確保」を是非考えるべきである。貧しい地方が育てた子供たちが裕福な東京の発展のために働くというシステムは是正してもらわなければならない。そしてこのことは別の問題も派生することとなる。現在の核家族化傾向を益々増長し、世代間の知識や技能の伝承が行われず、また親の高齢化に伴う介護問題のこともあり、このことの指摘は余り聞こえませんが大きな社会問題となっているのです。
■改めて地域興しを考えるべきではないか
地方消滅は一つの警告として聞き、これから考えるべきは地域興しなどの対策であると思う。対策のひとつは地域興しであり、その二つ目は酷すぎる産業空洞化対策だと思う。わが国工場の海外流出は余りにも酷く工場が国内立地していれば、国内雇用増加となり、わが国GDP上昇に寄与し、税収増になるものが、外国の発展に貢献しているのである。そして対策の三つ目は、日本企業の経営者にも自前のことだけでなく、日本の将来について目を向ける度量を求めたいということです。
以上書いてみましたが、子供作りに貢献できない我々、晩酌の味を不味くしてしまいますかね。
(子供を作らなくなった日本民族)
相 原 孝 志
■消滅可能性都市のこと
多くの市町村が「消滅可能性都市」となるという、本当か。2040年には全国1799の都市の内、896の市区町村が「消滅可能性都市」となるというのだ。それは人口減少によるものであり、20~39歳の若い女性の減少と大都市圏(特に東京圏)への若者の流出が原因であるという。地方都市の約半数が消滅する可能性があるというのだが、これは只事ではない。
しかも人口減少がその一因である以上、地方消滅対策は人口問題として解決できることではなくなってしまった。何故ならわが国の人口問題は短期間に解決できることではなく、人口減少は相当長期間続いていくこととなるからです。
■わが国の人口問題
出生率約1.4で子供を作ることを忘れたわが国は、今や総人口5000万人を目指して国力を低下させていく。わが国の人口は2008年の1億2800万人をピークに人口減少過程となっており、今世紀半ばには1億人を切り、今世紀末の2100年には5000万人と現在の約40%まで減少する予想となっている。しかもこれまでの総人口の減少速度は高齢者の高寿命化によって緩和されてきたが、これからは加速されていくこととなる。
人口を維持できる出生率は2.07だが2013年の出生率は1.43と低位にあり、わが国の人口問題は簡単には解決できない問題となってしまっている。これから少子化対策が実行され出生率が高まったとしても現実に人口が増えるには時間がかかり、わが国の人口問題が解決されるのは何時のこととなるのか分からない。
またわが国の人口問題として注目すべきは、最近の日本人は子供を作らない風潮が強くなっているようで、親自身が自分を大事にしたい、人生を楽しみたい、女性は自分も仕事をしたいなどとの思いが強くなっており、未婚者が多くなっていることがこのことを示しているともいえるようだ。これからの少子化対策は中々難しく人口増加は並大抵のことではない。子供を産まない民族となってしまえば、残念だが人口回復は不可能なのではないだろうか。
■地方消滅は本当か
地方消滅とは地方が消えてしまうことなのか、それとも自治体が無くなるということなのか。地方消滅とは何かをはっきりさせておかなければならない。若い女性が減少し、あるいは人口が大都市部へ流出することで、ある地方が存在しなくなるということなのだろうか。人口が減っても直ちにゼロになってしまうのではなく、何らの対策もなければ消滅してしまう可能性があるということではないのだろうか。地方が消えてしまう前に、行政機構が機能低下を起こす過程があるはずで、その中で地域維持のための努力がされるはずである。そして住民は闇雲に大都市へ出ていくのではなく、地元の住環境が充足されていれば住みつづけ地方は消滅しないはずである。社会保障機能や雇用などが確保されていれば、人々は基本的にその街を出ていくことにはならない。人口が減少し、住環境が低下していく過程で、行政と住民とが状況悪化改善に努力すれば地方消滅を防げるのではないかと思う。簡単に「地方消滅」などといってほしくないのである。地方消滅防止対策として、実態に応じて改革、改善、工夫などをすべきである。これらの諸対策によって若い女性の減少と人口流出をある程度防げることとなれば、地方消滅にはならないはずである。
中でも地元出身者の大都市流出防止対策は真剣に考えなければならない課題である。地方が折角育てた若者が学業終了とともに大都市へ就職してしまうことは余りにも残念であり、地元定着対策として「地方の雇用の場の確保」を是非考えるべきである。貧しい地方が育てた子供たちが裕福な東京の発展のために働くというシステムは是正してもらわなければならない。そしてこのことは別の問題も派生することとなる。現在の核家族化傾向を益々増長し、世代間の知識や技能の伝承が行われず、また親の高齢化に伴う介護問題のこともあり、このことの指摘は余り聞こえませんが大きな社会問題となっているのです。
■改めて地域興しを考えるべきではないか
地方消滅は一つの警告として聞き、これから考えるべきは地域興しなどの対策であると思う。対策のひとつは地域興しであり、その二つ目は酷すぎる産業空洞化対策だと思う。わが国工場の海外流出は余りにも酷く工場が国内立地していれば、国内雇用増加となり、わが国GDP上昇に寄与し、税収増になるものが、外国の発展に貢献しているのである。そして対策の三つ目は、日本企業の経営者にも自前のことだけでなく、日本の将来について目を向ける度量を求めたいということです。
以上書いてみましたが、子供作りに貢献できない我々、晩酌の味を不味くしてしまいますかね。
人生晩年期の心得 by 相原 ― 2014/09/17 17:07
平成26年9月
人生晩年期の心得
相原 孝志
■傘寿のお祝い会で驚愕
これまで臨終の心得について考えたことはあったが、人生の晩年期について考えることはなかった。そのきっかけは、傘寿の祝会でもある久し振りの同級会であった。集まった仲間たちと会って大変驚いたのである。無論いい顔の元気な彼も多いのだが、車椅子、夫人付添もおり、杖持ちも多い。自分の体を十分にコントロールできない様子が散見されるのであった。この実態を知り愕然としたのである。
■150名の同級生たちと
今から約70年前、中高一貫男子校へ入学した約150名の同級生たち、今までに約1/3が亡くなり、傘寿お祝会に出席したのは50名ほどであった。紅顔の美少年たち今や様変わりとなっているが、長年が経った今仕方ないことである。同級生全体を総じてみれば、思った以上にグループとしてのパワーと迫力感は低下しているようだ。どちらかといえば、ひそやかな寂しげなムードを感じてしまうのだ、何とか頑張りたいものだ。
自分は悠々自適となって以来、好奇の心に誘われて「やりたいことを存分に実行できる」至福の時を満喫してきたと思っていたのだが、私の至福の時も空元気だったのではないのかと疑い、少なくともこれからは我が体調と生き様の変化に改めて注意しなければならないということを確かめることとなってしまった。
■70歳代からのQOL
「60,70花ならつぼみ、80,90花盛り」なる川柳を何時か見たのだが、いかにも後期高齢者を明るくとらえているが、本当はアイロニーではないのか。
「60,70洟垂れ小僧、大人は100から100から」ともなれば、まさに非現実的投げやり川柳となる。視力・聴力障害、腰痛、骨折、認知症のような普段の生活の自由度を低下させる「生活の質(QOL)」は、一般的に70歳代半ば頃から低下してくることとなり、80歳頃には多少の援助が必要となる人が多くなるという。これはあくまでもデーター上のことで現在の自分には当てはまらないと思っていたが、友人たちの状況に照らしわが身にも起こる現実のことであることを知ったのである。ならばいつ頃、どのような形で表れてくるのか、気にしていかなければならない。
待てョ、既に始まっているのではないのか、
「目はかすみ、歯は落ちて、耳にセミ鳴く、秋の夕暮」なる駄洒落川柳の現象はそのあらかたを経験し始まっているからである。
■未体験ゾーンを生きていく
人間にとって頭脳の重要性は論をまたないが、健康寿命を長えるのも正常な頭の維持と関わることである。これからの未体験ゾーンである人生の晩年期をどのように生きていくのかは、正常な脳の維持に関わることである。
改めてこれからの生き方、何を考え生きるのか、これから何をしようとしていくのか、何に意義を求めようとするのか。とにかく前向きの気持ちは持ち続けたい。出来ることなら好奇心を長続きさせ、喜(怒哀)楽の感情を長持ちさせ、世話になる人々への「ありがとう」の一言を忘れないようにしなければならないと思っている。
時偶々全米オープンテニスでの錦織選手の準優勝、日本人の一人として拍手を送れることを喜びたい。翻って傘寿の私達もそれぞれの人生を精一杯頑張ってきた。自分たちの人生晩年を自分たちへの褒め言葉で締めくくれることとしたいものである。
人生晩年期の心得
相原 孝志
■傘寿のお祝い会で驚愕
これまで臨終の心得について考えたことはあったが、人生の晩年期について考えることはなかった。そのきっかけは、傘寿の祝会でもある久し振りの同級会であった。集まった仲間たちと会って大変驚いたのである。無論いい顔の元気な彼も多いのだが、車椅子、夫人付添もおり、杖持ちも多い。自分の体を十分にコントロールできない様子が散見されるのであった。この実態を知り愕然としたのである。
■150名の同級生たちと
今から約70年前、中高一貫男子校へ入学した約150名の同級生たち、今までに約1/3が亡くなり、傘寿お祝会に出席したのは50名ほどであった。紅顔の美少年たち今や様変わりとなっているが、長年が経った今仕方ないことである。同級生全体を総じてみれば、思った以上にグループとしてのパワーと迫力感は低下しているようだ。どちらかといえば、ひそやかな寂しげなムードを感じてしまうのだ、何とか頑張りたいものだ。
自分は悠々自適となって以来、好奇の心に誘われて「やりたいことを存分に実行できる」至福の時を満喫してきたと思っていたのだが、私の至福の時も空元気だったのではないのかと疑い、少なくともこれからは我が体調と生き様の変化に改めて注意しなければならないということを確かめることとなってしまった。
■70歳代からのQOL
「60,70花ならつぼみ、80,90花盛り」なる川柳を何時か見たのだが、いかにも後期高齢者を明るくとらえているが、本当はアイロニーではないのか。
「60,70洟垂れ小僧、大人は100から100から」ともなれば、まさに非現実的投げやり川柳となる。視力・聴力障害、腰痛、骨折、認知症のような普段の生活の自由度を低下させる「生活の質(QOL)」は、一般的に70歳代半ば頃から低下してくることとなり、80歳頃には多少の援助が必要となる人が多くなるという。これはあくまでもデーター上のことで現在の自分には当てはまらないと思っていたが、友人たちの状況に照らしわが身にも起こる現実のことであることを知ったのである。ならばいつ頃、どのような形で表れてくるのか、気にしていかなければならない。
待てョ、既に始まっているのではないのか、
「目はかすみ、歯は落ちて、耳にセミ鳴く、秋の夕暮」なる駄洒落川柳の現象はそのあらかたを経験し始まっているからである。
■未体験ゾーンを生きていく
人間にとって頭脳の重要性は論をまたないが、健康寿命を長えるのも正常な頭の維持と関わることである。これからの未体験ゾーンである人生の晩年期をどのように生きていくのかは、正常な脳の維持に関わることである。
改めてこれからの生き方、何を考え生きるのか、これから何をしようとしていくのか、何に意義を求めようとするのか。とにかく前向きの気持ちは持ち続けたい。出来ることなら好奇心を長続きさせ、喜(怒哀)楽の感情を長持ちさせ、世話になる人々への「ありがとう」の一言を忘れないようにしなければならないと思っている。
時偶々全米オープンテニスでの錦織選手の準優勝、日本人の一人として拍手を送れることを喜びたい。翻って傘寿の私達もそれぞれの人生を精一杯頑張ってきた。自分たちの人生晩年を自分たちへの褒め言葉で締めくくれることとしたいものである。
妙齢のご婦人とランチタイム by 相原 ― 2014/08/05 09:24
酷妙齢のご婦人とランチタイム
暑の折り、ご同輩の皆さん元気ですか。
今夏昼時、元気印のつもりの喜寿人、行きつけの生蕎麦屋2階に上ったと思召せ。
一人席にて待つも間もなく、斜め向かいに妙齢のご婦人がつかれたのです。
フフーン中々の美形じゃな。
彼女注文のランチも到着して賑やかな店内が続いていく。
偶々喧噪の中、ご婦人の食事の様子が聞こえる、カリカリポリポリと。どうも沢庵漬けを食する音のようだ。
一瞬当方のザル蕎麦の箸が止まる。
何のことはないのだが、そして音響的にはいい音なのだが、何か癇の癪に触るような気分なのである。
この心理何処から発するのだろうか、直ぐには納得いく答えを思いつかない。
老若差からのヤッカミか、当方が歯科医院帰りであったからだろうか、それとも年甲斐もなくかなりの美形へのシャイな意識なのかとしばし思ったのであった。
久米の仙人の失敗を思い出して独り笑いをしています。
たっぷりの老年となっても、人生は何時までも面白いのですネ。
暑の折り、ご同輩の皆さん元気ですか。
今夏昼時、元気印のつもりの喜寿人、行きつけの生蕎麦屋2階に上ったと思召せ。
一人席にて待つも間もなく、斜め向かいに妙齢のご婦人がつかれたのです。
フフーン中々の美形じゃな。
彼女注文のランチも到着して賑やかな店内が続いていく。
偶々喧噪の中、ご婦人の食事の様子が聞こえる、カリカリポリポリと。どうも沢庵漬けを食する音のようだ。
一瞬当方のザル蕎麦の箸が止まる。
何のことはないのだが、そして音響的にはいい音なのだが、何か癇の癪に触るような気分なのである。
この心理何処から発するのだろうか、直ぐには納得いく答えを思いつかない。
老若差からのヤッカミか、当方が歯科医院帰りであったからだろうか、それとも年甲斐もなくかなりの美形へのシャイな意識なのかとしばし思ったのであった。
久米の仙人の失敗を思い出して独り笑いをしています。
たっぷりの老年となっても、人生は何時までも面白いのですネ。
デンマルク国の話 by 相原 ― 2014/02/12 09:56
仙台 相原です。
久し振りに「燦々会ページ」に投稿したいと思うのですが、宜しかったらアップ願いたいのです。
テーマは「デンマルク国の話」なのですが、実は今年の年賀状にこのことを書きましたところ、何人かの方から前向きのコメントを頂いたのです。
ということで、年賀状向け原文を皆さんに届けてみたいと思うのです。よろしく.
----------------------------------------------
デンマルク国の話 相原
■ 国は戦争に負けても亡びはしない
「デンマルク国の話」この話は、内村鑑三氏が約100年前に、1864年の対プロイセン戦争に敗戦したデンマークがその後どのように復興していったかについて語ったものです。「信仰と樹木とを以て国を救いし話」と副題されています。その中で内村氏は、3つの教訓を言い残しています。
1.国は戦争に負けても亡びません。国の興亡はその民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神があれば国は戦争に負けても衰えないのです。
2.天然には無限的生産力があります。小国デンマークであっても国内を開発すべきです。
3.国の実力は軍隊やお金ではなく信仰の力です。
これら3つの中で私は「国の興亡は国民の修養による」とすることに大いに関心を持つのです。
修養とは「精神を鍛錬し優れた人格を形成すること」と広辞苑にあります。
氏は「戦争に負けても、精神に負けない民が真に偉大な民である」と語っているのですが、翻ってわが国日本は、太平洋戦争敗戦後どうであったでしょうか。我が国は大戦に大敗しそして精神面でも大敗したのです。そして敗戦後70年近く経過する今でも、この2つの敗戦は続いています。「米国に物言えぬわが国日本、そして自立自尊の精神を持てぬ我々日本人」これが現在の日本の実態だと思います。
我々日本人は今「国は戦争に負けても亡びませんが、精神で負けた時にこそ滅ぶのです」という内村鑑三氏の言葉を改めて思い返すべきだと思うのです。
■ 自立自尊の精神を失くした人々
人間にとって大切なことの一つは、社会生活において自由が確保できることだといいます。
自由を持てることが人間として最も基本的な喜びであるというのです。しかし今の日本にはそのことが当てはまらない人たちがいるようです。何故なら、何事も自己責任を前提として「自由」を堅持していくよりも、誰かが決めてくれる「枠組」に従っていく方が気楽で居心地がよいと考える人々がいるらしいからです。 「自由より、束縛の中の気儘」を好んでいる人々がいるというのです。
その人々は安全保障問題でも外交問題にしても結局は自分で決められないでいるように見えるからです。
その良い例は「自分の身は自分で守る」という当り前のことができない日本の自国防衛忌避意識にみることができます。国家の最も基本的事項である国防を他国に依存すれば、他のあらかたのことは相手の言う通りにしなければならなくなるのは理屈です。借りは必ず返さなければならないのです。
このように自立自尊の精神を堅持できず自国の防衛さえも他国任せにしている様は、精神的敗戦国の証左ではないでしょうか。しかしこんなつまらぬことを長年続けている原因を他国の所為にしてはなりません、この問題は今や我々日本人自身が解決すべき民族的課題となっているのです。
■ 必要な我が国教育の改革
我々日本人の真の精神を蘇生させるには、遠回りかもしれませんが新しい教育の実現が必要だと思います。平成24年末政権交替があって、先行き我が国の政治が変わっていくことが期待されるのですが、教育も大きく改革してもらいたいものです。
ところで戦後教育は失敗でした。太平洋戦争敗戦後占領政策遂行を目的に米国より与えられた憲法と教育方針とを長く維持してきた戦後教育は、占領政策の目的が二度と日本の大国化を阻止することであり、元々目的が違っていただけにわが国が求めるべき人材育成に成功し得なかったことは当然のことだったのです。道徳、愛国心、伝統、宗教などが軽視され教育にかかわる責任体制も教育基本法を抜本改定し戦後日本人の軟な精神と根性を正し、改めて自立自尊の精神を再生することで、属国からの独立と真の日本国の実現を果たし、日本人の精神改革を実現しなければならないと思うのです。
そのためには義務教育は無論のこと成人教育にも配慮して、日本人全体の品格の向上と人間性の強化を図りたいのです。それには、まずは幼児期の教育から始めなければなりません。幼児期の脳の能力と柔軟さとには驚くほどのものがあり、この時期に教える内容と教育方法については十分吟味すべきだと思います。就学以降の義務教育では社会で生きていくために必須な「読み書きそろばん」を強制的に教えるともに、高学年では勉強の面白さを感じさせるよう指導することが必要です。いわゆる高学年では子供たちに自信を持たせるよう指導する必要があるということです。自信とは自分を信ずることですが、学業への自信がつけば自ずと勉強が楽しくなり、自発的に勉強が進むこととなるでしょう。これでこそ子供たちの能力を引出すことのできるエジュケーションとなり、義務教育は大成功となることでしょう。従って、この時期の教育を
担当する教師の役割は、子供たちに自信を持たせることなのです。その時には教師と生徒たちには強い絆が生まれ、それは一生を通しての長く深い付合いとなることでしよう。
教師は長いこと先生であったことを喜び、懐かしみつつ人生を過ごすことでしょう。教師冥利に尽きるとはこのことではないでしょうか。国旗掲揚に起立せず国歌を斉唱しない教師がいるといいますが、愛国心を否定するのでしょう、このような教師に国と子供たちとを思いやる教育はできるはずがないと思うのです。
次に、育児教育を担う母親と労働力として仕事を担う女性の一人二役について考えてみたいと思います。
「乳児は肌身離さず、幼児は手を離さず、児童からは目を離さず、青年からは心を離さずに」といいますが、育児は基本的に母親が共稼ぎをしながらできるものではありません。年寄りがいる3世代同居家族とかチャイルドヘルパーを雇える家庭以外無理なのです。特に、乳児を抱きしめて育児する母親の役割は誰にも代われるものではありません。昨今の社会は、女性に母親の役目と労働者の役割とを期待しているようですが、これはおかしいことです。
女性に一人二役を要求することは基本的に無理でありおかしいことなのです。子供たちを立派に育てることで、母親は一人の人間としての役割を十分果たしたと自他共に評価すべきなのです。無論その上で他の仕事もやり遂げようとする女性の考えを否定するものではありませんし、また、夫婦の共同作業としての育児を否定するものでもありません。
社会が一般論として女性に一人二役を要求することを当然とすることはおかしいということなのです。
今の日本では多くの可笑しなことがあることを、多くの国民は知っているはずです。
政治も外交も教育も、何故長い間それを改善しようとする行動が起きないのでしょうか。
改めて我々日本人の心は、今何か間違いか勘違いかをしているのではないでしょうか。
改めて内村鑑三氏が言った精神的劣化が民族のそして国の衰退につながることに気付くべきだと訴えたいのです。
久し振りに「燦々会ページ」に投稿したいと思うのですが、宜しかったらアップ願いたいのです。
テーマは「デンマルク国の話」なのですが、実は今年の年賀状にこのことを書きましたところ、何人かの方から前向きのコメントを頂いたのです。
ということで、年賀状向け原文を皆さんに届けてみたいと思うのです。よろしく.
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デンマルク国の話 相原
■ 国は戦争に負けても亡びはしない
「デンマルク国の話」この話は、内村鑑三氏が約100年前に、1864年の対プロイセン戦争に敗戦したデンマークがその後どのように復興していったかについて語ったものです。「信仰と樹木とを以て国を救いし話」と副題されています。その中で内村氏は、3つの教訓を言い残しています。
1.国は戦争に負けても亡びません。国の興亡はその民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神があれば国は戦争に負けても衰えないのです。
2.天然には無限的生産力があります。小国デンマークであっても国内を開発すべきです。
3.国の実力は軍隊やお金ではなく信仰の力です。
これら3つの中で私は「国の興亡は国民の修養による」とすることに大いに関心を持つのです。
修養とは「精神を鍛錬し優れた人格を形成すること」と広辞苑にあります。
氏は「戦争に負けても、精神に負けない民が真に偉大な民である」と語っているのですが、翻ってわが国日本は、太平洋戦争敗戦後どうであったでしょうか。我が国は大戦に大敗しそして精神面でも大敗したのです。そして敗戦後70年近く経過する今でも、この2つの敗戦は続いています。「米国に物言えぬわが国日本、そして自立自尊の精神を持てぬ我々日本人」これが現在の日本の実態だと思います。
我々日本人は今「国は戦争に負けても亡びませんが、精神で負けた時にこそ滅ぶのです」という内村鑑三氏の言葉を改めて思い返すべきだと思うのです。
■ 自立自尊の精神を失くした人々
人間にとって大切なことの一つは、社会生活において自由が確保できることだといいます。
自由を持てることが人間として最も基本的な喜びであるというのです。しかし今の日本にはそのことが当てはまらない人たちがいるようです。何故なら、何事も自己責任を前提として「自由」を堅持していくよりも、誰かが決めてくれる「枠組」に従っていく方が気楽で居心地がよいと考える人々がいるらしいからです。 「自由より、束縛の中の気儘」を好んでいる人々がいるというのです。
その人々は安全保障問題でも外交問題にしても結局は自分で決められないでいるように見えるからです。
その良い例は「自分の身は自分で守る」という当り前のことができない日本の自国防衛忌避意識にみることができます。国家の最も基本的事項である国防を他国に依存すれば、他のあらかたのことは相手の言う通りにしなければならなくなるのは理屈です。借りは必ず返さなければならないのです。
このように自立自尊の精神を堅持できず自国の防衛さえも他国任せにしている様は、精神的敗戦国の証左ではないでしょうか。しかしこんなつまらぬことを長年続けている原因を他国の所為にしてはなりません、この問題は今や我々日本人自身が解決すべき民族的課題となっているのです。
■ 必要な我が国教育の改革
我々日本人の真の精神を蘇生させるには、遠回りかもしれませんが新しい教育の実現が必要だと思います。平成24年末政権交替があって、先行き我が国の政治が変わっていくことが期待されるのですが、教育も大きく改革してもらいたいものです。
ところで戦後教育は失敗でした。太平洋戦争敗戦後占領政策遂行を目的に米国より与えられた憲法と教育方針とを長く維持してきた戦後教育は、占領政策の目的が二度と日本の大国化を阻止することであり、元々目的が違っていただけにわが国が求めるべき人材育成に成功し得なかったことは当然のことだったのです。道徳、愛国心、伝統、宗教などが軽視され教育にかかわる責任体制も教育基本法を抜本改定し戦後日本人の軟な精神と根性を正し、改めて自立自尊の精神を再生することで、属国からの独立と真の日本国の実現を果たし、日本人の精神改革を実現しなければならないと思うのです。
そのためには義務教育は無論のこと成人教育にも配慮して、日本人全体の品格の向上と人間性の強化を図りたいのです。それには、まずは幼児期の教育から始めなければなりません。幼児期の脳の能力と柔軟さとには驚くほどのものがあり、この時期に教える内容と教育方法については十分吟味すべきだと思います。就学以降の義務教育では社会で生きていくために必須な「読み書きそろばん」を強制的に教えるともに、高学年では勉強の面白さを感じさせるよう指導することが必要です。いわゆる高学年では子供たちに自信を持たせるよう指導する必要があるということです。自信とは自分を信ずることですが、学業への自信がつけば自ずと勉強が楽しくなり、自発的に勉強が進むこととなるでしょう。これでこそ子供たちの能力を引出すことのできるエジュケーションとなり、義務教育は大成功となることでしょう。従って、この時期の教育を
担当する教師の役割は、子供たちに自信を持たせることなのです。その時には教師と生徒たちには強い絆が生まれ、それは一生を通しての長く深い付合いとなることでしよう。
教師は長いこと先生であったことを喜び、懐かしみつつ人生を過ごすことでしょう。教師冥利に尽きるとはこのことではないでしょうか。国旗掲揚に起立せず国歌を斉唱しない教師がいるといいますが、愛国心を否定するのでしょう、このような教師に国と子供たちとを思いやる教育はできるはずがないと思うのです。
次に、育児教育を担う母親と労働力として仕事を担う女性の一人二役について考えてみたいと思います。
「乳児は肌身離さず、幼児は手を離さず、児童からは目を離さず、青年からは心を離さずに」といいますが、育児は基本的に母親が共稼ぎをしながらできるものではありません。年寄りがいる3世代同居家族とかチャイルドヘルパーを雇える家庭以外無理なのです。特に、乳児を抱きしめて育児する母親の役割は誰にも代われるものではありません。昨今の社会は、女性に母親の役目と労働者の役割とを期待しているようですが、これはおかしいことです。
女性に一人二役を要求することは基本的に無理でありおかしいことなのです。子供たちを立派に育てることで、母親は一人の人間としての役割を十分果たしたと自他共に評価すべきなのです。無論その上で他の仕事もやり遂げようとする女性の考えを否定するものではありませんし、また、夫婦の共同作業としての育児を否定するものでもありません。
社会が一般論として女性に一人二役を要求することを当然とすることはおかしいということなのです。
今の日本では多くの可笑しなことがあることを、多くの国民は知っているはずです。
政治も外交も教育も、何故長い間それを改善しようとする行動が起きないのでしょうか。
改めて我々日本人の心は、今何か間違いか勘違いかをしているのではないでしょうか。
改めて内村鑑三氏が言った精神的劣化が民族のそして国の衰退につながることに気付くべきだと訴えたいのです。
「臨終の心得」再び by 相原 ― 2013/08/22 08:01
「臨終の心得」再び
相原 孝志
■ 死を悟った人
先日友人が亡くなった。肺ガン発病後一年にも満たないアッという間の出来事であった。入院当初、本人も周りの我々も全快を信じていたのだが、病状とともに本人が余命を感じ覚悟を決めたであろうまでの時間は長くなかった、その間心情の経過はどんなものだったのか。発病を知らされて「本当なのかとの疑い」、「何故自分がという怒りと絶望」そして考えあぐねた末の「受容」とちりぢりなる心境を味わったのであろうか。そして死を覚悟した時感じた恐怖にどう対処しようとしたのだろうか。人は人生の終末を迎えた時死を意識する時があるというが、その時人は何を思うのだろうか。自分の残した実績か、家族のことか、神様のことか、それとも……。
彼が亡くなる半月前、病床の彼を訪ね長話をしたのが最後となってしまった。手の一部が不自由となっていたが表情明るく 頭ははっきりして普段通りの会話ができたのであった。話の中で私は「君は今、死の怖さをどう感じているのか」と問いたかったのだが結局できなかった。彼は既に自分の余命を覚悟していたかもしれぬと思ったものの、静かな心境で話す相手に対して余りにも気配りのないことかもしれぬとったからであった。以前「臨終の心得」を書いたが、彼の死を契機に改めて考えてみたい。
それにしてもそれまで元気に生きてきた人間一人、驚くほど簡単に戸籍から抹消されてしまうものだ。それだけに家族や知人の心の中に長くそして深く留まる存在とならなければならない。
■ 死とは何か、死は怖いもの
・死と生は紙一重
東日本大震災の大津波で車ごと飲み込まれた私、九死に一生を得るという貴重な経験をしたのだが、命を取止めて改めて思ったのは「生と死がこんなに間近にあるのだ」ということだった。死は十分な生の後にやってくる結末でも終点でもなく、年齢にも関わりなく、死と生は何時も共にあり表裏一体の関係にあるということを確かめたのである。改めて生と死に関わる死生観について、生を受け生きる素晴らしさと意義、そして避けて通れぬ死についての心構えとを時折考えておくべきだと思ったのである。人生の終末・死は万人共通のものだがその時までをどう生きるのか、特に終末の時期をどう過ごすのかは、それは人それぞれであり極めて属人的なことであるからだ。
・理屈でない死の恐怖
ところで、物心ついた頃死ぬとどうなるのだろうか「死」は恐ろしく怖いものだと強い不安を覚え、思い悩んだことを思い出す。死生観の核心の問題である「死への恐怖」については、そこには「生への執念」と「死後はどうなるのか
ということがあって、これらが「死への恐怖」を醸成していく。この世に誕生した以上生に執着することは人間の本質であり、その生が断絶される可能性に対して絶対的危機感を持つこととなるのは当然だろう。また死後のことについては、天国や浄土、輪廻転生などを信ずる宗教信者であれば、来世を信じ死は一つの通過点であるとして心の平安を保ち続けられるのかもしれない。ここに宗教を信ずる意義、信仰の有難みがあるのかもしれない。ただ私には信じられない、そして死の恐怖は理屈ではない。
・自分の死
さて今悠々自適の時となり、それまでの人生を振返る余裕が生まれた時「死とは何か」「生とは何か」「宗教とは何か」と想いを巡らし、遠くに目線を合わせ静かな時の成り行きに身をゆだねることのできる頃、再び「死」について考える時がやってきた。死には「人生の終末としての死」、「生を考える背景としての死」そして「晩年近く直面することとなる自分の死」と三つの死があるように思う。高齢者となった今の関心事は、自分の死への認識が今後どのように推移するのかである。迫ってきているかもしれぬ自分の死を迂闊にも見逃してしまっているのかもしれないが、今の私は死に対する恐怖を格別に感じているわけではない。しかし今後死の恐怖に再度襲われることとなり、どのように変化していくのかが気になるのである。死を極度に恐れていても致し方ないようにも思えるのだが、宗教とは関わりなく死生観について更に考えておきたいと思う。
・最後のありがとう
これから準備すべき心構えで特に気になるのは、それまでお世話になった人々への感謝の気持ちを、心からの「ありがとう」を、そして別れの言葉を伝えることが出来るのか、伝えるための機会を得ることが出来ればと思う。また自分の死の前に、自分の死より悲しいだろう愛する人々の死と出会うこともあるかもしれない、その時の格段に大きい悲しみに耐えるべく心の準備も求められていると思う。他にも心しておかねばならぬことが幾つかあるようだ。それは死の前にやってくるかもしれぬ認知症もその一つである。それは心を失っていく人間の有様を見せるのだろうが、それは人生末期の静かな悲しみ、孤独感、情けなさなどを深め、そしてそれらのことさえ失っていくこととなるのだろうか。その時の心境の変化は如何なものなのか確かなことは分からぬが、最後まで感謝の気持ちだけは大切に持ち続けていかなければと思っている。
■ 必要ない臨終の心得
ところでこれまで多くの人々の最期に立ち会ってきた。今はの時「早く楽になりたい」「生きているのも楽でない」と言われたことを忘れてはいない。このことは、痛みや苦痛から解放されたいとの願いは大きいものの、死そのものへの恐怖を意味していたとは思えなかった。「多くの人々は安らかに亡くなっていく」と長く高齢者医療に携わってきた医師の言葉もあるし、また「木が次第に枯れていくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、極めてあっけなく安楽な死を遂げるものである」といっている医者もいる。どうも死に対する怖さや関心は健康時にこそ強く意識されるものの、病とか老衰のように心身の衰弱に伴なう過程では、痛みや苦痛は残るものの死に対する恐怖の意識は希釈緩和されていくのではないのだろうか。そして自然死の今はの時には、特別な「臨終の心得」を求められるようなこともなく、天国のお花畑を見られるかどうかは別として、心穏やかな終末を迎えることができる天与の摂理が準備されているのではないのだろうか。そうだろう、そうあってほしいと楽観的に考えてしまうのである。死ぬのは嫌だと大声でながら亡くなる人はいない、多くの人は大変穏やかに人生を終えるようである。
相原 孝志
■ 死を悟った人
先日友人が亡くなった。肺ガン発病後一年にも満たないアッという間の出来事であった。入院当初、本人も周りの我々も全快を信じていたのだが、病状とともに本人が余命を感じ覚悟を決めたであろうまでの時間は長くなかった、その間心情の経過はどんなものだったのか。発病を知らされて「本当なのかとの疑い」、「何故自分がという怒りと絶望」そして考えあぐねた末の「受容」とちりぢりなる心境を味わったのであろうか。そして死を覚悟した時感じた恐怖にどう対処しようとしたのだろうか。人は人生の終末を迎えた時死を意識する時があるというが、その時人は何を思うのだろうか。自分の残した実績か、家族のことか、神様のことか、それとも……。
彼が亡くなる半月前、病床の彼を訪ね長話をしたのが最後となってしまった。手の一部が不自由となっていたが表情明るく 頭ははっきりして普段通りの会話ができたのであった。話の中で私は「君は今、死の怖さをどう感じているのか」と問いたかったのだが結局できなかった。彼は既に自分の余命を覚悟していたかもしれぬと思ったものの、静かな心境で話す相手に対して余りにも気配りのないことかもしれぬとったからであった。以前「臨終の心得」を書いたが、彼の死を契機に改めて考えてみたい。
それにしてもそれまで元気に生きてきた人間一人、驚くほど簡単に戸籍から抹消されてしまうものだ。それだけに家族や知人の心の中に長くそして深く留まる存在とならなければならない。
■ 死とは何か、死は怖いもの
・死と生は紙一重
東日本大震災の大津波で車ごと飲み込まれた私、九死に一生を得るという貴重な経験をしたのだが、命を取止めて改めて思ったのは「生と死がこんなに間近にあるのだ」ということだった。死は十分な生の後にやってくる結末でも終点でもなく、年齢にも関わりなく、死と生は何時も共にあり表裏一体の関係にあるということを確かめたのである。改めて生と死に関わる死生観について、生を受け生きる素晴らしさと意義、そして避けて通れぬ死についての心構えとを時折考えておくべきだと思ったのである。人生の終末・死は万人共通のものだがその時までをどう生きるのか、特に終末の時期をどう過ごすのかは、それは人それぞれであり極めて属人的なことであるからだ。
・理屈でない死の恐怖
ところで、物心ついた頃死ぬとどうなるのだろうか「死」は恐ろしく怖いものだと強い不安を覚え、思い悩んだことを思い出す。死生観の核心の問題である「死への恐怖」については、そこには「生への執念」と「死後はどうなるのか
ということがあって、これらが「死への恐怖」を醸成していく。この世に誕生した以上生に執着することは人間の本質であり、その生が断絶される可能性に対して絶対的危機感を持つこととなるのは当然だろう。また死後のことについては、天国や浄土、輪廻転生などを信ずる宗教信者であれば、来世を信じ死は一つの通過点であるとして心の平安を保ち続けられるのかもしれない。ここに宗教を信ずる意義、信仰の有難みがあるのかもしれない。ただ私には信じられない、そして死の恐怖は理屈ではない。
・自分の死
さて今悠々自適の時となり、それまでの人生を振返る余裕が生まれた時「死とは何か」「生とは何か」「宗教とは何か」と想いを巡らし、遠くに目線を合わせ静かな時の成り行きに身をゆだねることのできる頃、再び「死」について考える時がやってきた。死には「人生の終末としての死」、「生を考える背景としての死」そして「晩年近く直面することとなる自分の死」と三つの死があるように思う。高齢者となった今の関心事は、自分の死への認識が今後どのように推移するのかである。迫ってきているかもしれぬ自分の死を迂闊にも見逃してしまっているのかもしれないが、今の私は死に対する恐怖を格別に感じているわけではない。しかし今後死の恐怖に再度襲われることとなり、どのように変化していくのかが気になるのである。死を極度に恐れていても致し方ないようにも思えるのだが、宗教とは関わりなく死生観について更に考えておきたいと思う。
・最後のありがとう
これから準備すべき心構えで特に気になるのは、それまでお世話になった人々への感謝の気持ちを、心からの「ありがとう」を、そして別れの言葉を伝えることが出来るのか、伝えるための機会を得ることが出来ればと思う。また自分の死の前に、自分の死より悲しいだろう愛する人々の死と出会うこともあるかもしれない、その時の格段に大きい悲しみに耐えるべく心の準備も求められていると思う。他にも心しておかねばならぬことが幾つかあるようだ。それは死の前にやってくるかもしれぬ認知症もその一つである。それは心を失っていく人間の有様を見せるのだろうが、それは人生末期の静かな悲しみ、孤独感、情けなさなどを深め、そしてそれらのことさえ失っていくこととなるのだろうか。その時の心境の変化は如何なものなのか確かなことは分からぬが、最後まで感謝の気持ちだけは大切に持ち続けていかなければと思っている。
■ 必要ない臨終の心得
ところでこれまで多くの人々の最期に立ち会ってきた。今はの時「早く楽になりたい」「生きているのも楽でない」と言われたことを忘れてはいない。このことは、痛みや苦痛から解放されたいとの願いは大きいものの、死そのものへの恐怖を意味していたとは思えなかった。「多くの人々は安らかに亡くなっていく」と長く高齢者医療に携わってきた医師の言葉もあるし、また「木が次第に枯れていくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、極めてあっけなく安楽な死を遂げるものである」といっている医者もいる。どうも死に対する怖さや関心は健康時にこそ強く意識されるものの、病とか老衰のように心身の衰弱に伴なう過程では、痛みや苦痛は残るものの死に対する恐怖の意識は希釈緩和されていくのではないのだろうか。そして自然死の今はの時には、特別な「臨終の心得」を求められるようなこともなく、天国のお花畑を見られるかどうかは別として、心穏やかな終末を迎えることができる天与の摂理が準備されているのではないのだろうか。そうだろう、そうあってほしいと楽観的に考えてしまうのである。死ぬのは嫌だと大声でながら亡くなる人はいない、多くの人は大変穏やかに人生を終えるようである。
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